89歳フライフィッシャー in 喜茂別

解禁直前、毎年の儀式の様に尻別川126キロのうちの蘭越町栄橋を皮切りに喜茂別町と大滝村をまたぐ広島橋までを、水質のパックテストキットと水温計、水生昆虫の捕獲ネットを携え要所の調査に足早に移動した。喜茂別町を曲がり支笏湖方面の道に入ってすぐの右側に、私の後輩が家族と営む羊蹄フラワーセンターがある。ふと立ち寄ると喪中の幕が玄関に揺れていた。聞くと昨夜遅く祖母が他界したとのこと、話をしていると弔問の菅原町長が現れ、私は尻別川の工事を自然工法に変える動きを手伝って欲しいむねを伝えた。彼は初代リバーネットの会長であり今期土木主体の喜茂別の動きに疑問を投げかけ町長となった。自らも鈴川地区で自然農法でハーブ等を栽培する筋金入りの男である。会話の背景には昨年の春に私が剪定した木々が春の日差しに輝いていた。
通夜のお手伝いが何か出来ないかと出向くと、こんな日でもホーマックに花を納めているために二人の弟を含めパートさんが忙しく出荷の準備を進めていた。造園を始めフライフィッシング、アウトドア趣味のおじいちゃんとは剪定をきっかけに急速に親しくなり息子や孫には話した事が無い事まで聞く事が出来た。戦後夫婦手を取り合って手稲で花の生産を取り組んだ、今ではイングリッシュガーデンがブームとなり定着しはじめた宿根草だが、当時早くもその海外種を研究し栽培していたようだ。書棚の英国から取り寄せたという釣り、ガーデン類の本は圧巻である。
その後フライフィッシングを嗜み山の自然を愛した男は喜茂別に移り住んだ、喜茂別トラウトランドにもオープン当初遊びに来ていたと聞いた。喜茂別川の今の状態の話をすると顔が曇った、時には厳しい顔で空を睨んでいたのが印象的だ。
おばあちゃんの亡骸を背にそのときの表情と同じ顔で私を見た、なにかお願いされたような感じがして胸がこみ上げ涙が溢れそうで、あわてて表へと飛び出した。通夜迄の時間居たたまれなく解禁の支流を黒服のまま釣り上がった、別に釣れなくても良かったが入れ食いで急がしすぎた。通夜の席合掌すると川の匂いがした。伏せがちなおじいちゃんを笑わせようと、数珠かと思ってポケットに入れてたらイクラだったと修学旅行用のイクラの瓶を見せた。
あどけない顔で笑った。89歳のフライフィッシャー健在である。

解 禁 を 待 て ず に 蕊 の ポ タ リ 落 つ /昌也

我がままな男のロマンを支えた美しき鹿討ハルエ様の霊へ
感謝を込めて稚拙ながらも追悼句 合掌
by stream-navi | 2005-06-03 05:38
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